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『出会い』の底力

梁河 文昌(やながわ ふみあき)さんに聞く

その力はどこから湧いてくるのだろう。なぜその思いは枯れないのだろう。彼の活動の行動力や持久力に、そんな疑問が芽生えてくる。

新潟県中越大震災から1年。当時全国から多くのボランティアが駆けつけた。そして今なお独自の活動を地道に行なっている人々がいる。梁河 文昌(やながわ ふみあき 38歳)もその一人だ。

大地震発生の報道に、新潟の知人とすぐ連絡が取れた梁河は、被害が少なかったそこを救援活動の拠点に滞在させてもらうことになった。寝袋と積めるだけ食料や水などを持って、すぐさま現地に向かった。

特に被害の大きかった地域に親戚や友人がいたわけではないが、このとき不思議とそこへ行くのが当たり前のように、体が自然に動いたという。余震のことなど自分の身を案じたが、そんな心配もお構いなしに、その身は躊躇なくスクランブルモードになっていた。今もその原動力の理由は自分でもよくわからない。「でも、ハッキリとした目的や動機づけがないと動けないものでもないでしょう」と彼は少し照れくさそうに言った。彼の歩みをたどりながら、彼をそのように突き動かす力の源泉をたずねてみたいと思った。

暗やみの中で
梁河には原体験とも言える『出会い』がある。ただ、彼がそれに出会うには、くぐらざるを得ない道があった。
中学・高校時代、上からねじ伏せられるような教育に反発した。教師と生徒の上下関係に信頼は皆無だった。溢れる怒りや悲しみ。その持て余したエネルギーは時に暴走することもあった。そんな梁河少年に向かって進路指導の教師は、「お前みたいなクズが行けるような学校はない」と言い放った。悔しくて受験勉強を始め、大学に合格した。
強くなりたかった。大学では伝統的な強さを誇る空手部に入った。上下関係のとても厳しいところだった。上級生になればそれから解放されると思ったが、今度は「常勝」というプレッシャーがのし掛かった。さらにリーダーとしての重圧も、精いっぱい全身で背負った。
中学・高校時代からずっと、常に様々な「上下」のベクトルに押しつぶされそうだった。弱音を吐いたら最後、そこから一気にその重みで自分が崩れそうだった。だから仲間はたくさんいたにもかかわらず、いつも孤独に戦っている感じだった。自分を叱咤激励し、上だけを見ていた心はしかし今にも張り裂けそうだった。
転機
そんな学生時代が終わりを迎えるころ、若い僧侶たちが集うある学びの場で、『三帰依文(さんきえもん)』を拝読していた時のことだった。その中のこの言葉に、目がくぎ付けになった。
“衆生(しゅじょう)と共に”。
衝撃が走った。それまで「上下」といういわば縦軸の関係性や観念の中だけで孤独に必死にもがいて生きて来たかのような梁河にとって、この「共に」という横軸の広がりは、まるで全く思いも寄らない新たな世界観を与えるかのように一気に彼を包んだ。と同時に自分を縛っていた強固な観念がほどけたかのごとく、きしんでいた心が解き放たれていくのを覚えた。たった数文字のこの言葉に、梁河の全身が感動で震えた。
無駄ではなかった
この『三帰依文』の言葉は以前から知ってはいたという。でもこのように心に響いたことはなかったと。この言葉を知ってはいてもそれまでは、そこにはこの言葉との本当の『出会い』はなかった。だが、「機が熟す」と言うように、それまでの人生すべてをもって、これまでの押しつぶされそうな閉塞された体験をくぐって、今まさに『三帰依文』のお言葉にあるみ仏のお心に『出会った』のだ。今までのこと全て無駄ではなかった。逆に、今までがあったからこそ出会えた、むしろそんな彼だったからこそ響いた言葉、と言っても過言ではないだろう。
出会いは人を動かす。解放されて人は新たに歩み出せる。出会いがさらに新たな出会いを生む。それらひとつひとつをつないでみると、そのラインは一切の衆生とどこかでつながっているような感じがしてくる。
いのちの源泉
だから梁河は、ボランティア活動で「助ける人・助けられる人」という優劣や強弱などのいわば上下の関係を超えて、共なる世界を見いだそうとしているのかもしれない。そこに彼のエネルギーの源泉があるような気がした。そこは火口のマグマが唸りをあげて煮えたぎっているイメージだったが、梁河はポツリと言った。「情熱は本来、静かなものですから」。
なるほどその源泉は、泰然と湧き続ける澄んだ永遠のオアシスのようでもあった。
(文中敬称略)

取材・記事/ホームページ班トピックスチーム(2005年11月)