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人は出会いを重ねて人生を歩む

不二門 至浄(ふじかど しじょう)さんに聞く

自分の進む道
三重県菰野町の寺に生まれ、関東に出て、寺のお手伝いの僧侶(役僧)としてはたらいてきた。役僧として日々の生活を送りながら、自分の歩む道を決めかねていた。
寺にご縁をいただいて生きてきたけれど、自分が僧侶として人生を歩む意味はあるのだろうか。既に寺はたくさんあるわけだし、住職もたくさんいる。また、僧侶としての生き方に疑問を感じてもいた。
寺に身を置いていただけに、寺の内面に目が行き、多くの疑問が込み上げてきた。現代のお寺が、お念仏の教えを広める道場として成り立っているだろうか。
何も疑問に感じさえしなければ、すんなりと僧侶として仏道を歩むことも出来たのに、彼はそれを許さなかった。自分自身への卑下。僧侶への失望感。
当時28歳。次に踏み出す一歩こそ、自分が一生をかけて歩む道になると考えていた彼にとって、僧侶の道はその選択肢から消えつつあった。
転換
彼にとって大きかったのは、そのような愚痴をこぼせる先輩僧侶がいたこと。
愚痴を聞き続けた先輩は彼に言います。
「君の言うことはよく分かる。確かに、首を傾げたくなるような僧侶はいる。
寺も念仏の道場になっているだろうか。だけど、親鸞聖人のおしえに出会い、一生懸命にその喜びを語り伝えようと努力している住職もいるじゃないか。それに、君自身が親鸞聖人のおしえを伝える人になってみないか。自分でやってみればいいじゃないか」
この一言が、彼に一寺を建立する第一歩を踏み出させた。
あゆみ
住職のそばにいると、人とすれ違うたびに挨拶が飛び交う。「こんにちは」「お元気ですか」「この前はありがとう」。当たり前のようでいて、なかなか発せられない言葉。住職はためらうことなく声をかける。そのことを特筆するのも淋しいことではあるが、まず声をかけるというところが住職の魅力となっている。
千葉県流山市に居を構え、そこを聞法道場とした。
外観は普通の住宅。墓所もない。私たちの頭に刷り込まれている寺のイメージとはまったく違う。しかし、法事をこなすだけというイメージの寺ではなく、自然と手が合わさる大切な場所として存在している。
聞法会は月に2回。1回は寺で、もう1回は喫茶店の小部屋を借りて。お話を聞いた後はコーヒー片手に、参加者が想いを語り合う。まるで家族のような雰囲気が漂う。
子供会を開催することも。紙芝居や、手作りおもちゃを作って子供たちとの時間を大切にしている。
僧侶には、釈尊や親鸞聖人の教えを広める発信者としての役割もあるが、なによりも自分が聞法の場に身を置くことを大切にしている。聞法の場に足を運び、聞き続ける。発信者である前に、受信者であることを忘れてはならない。その気持ちを胸に、聞法をされている。
報恩講
流山開教所報恩講は、法話・法要だけでなく、JAZZライブも。お斎(おとき)は、参詣者が持ち寄った食事をみんなで食べる。
お斎は、元々は、ご門徒の家庭で採れたお米や野菜を持ち寄り、調理したものだった。ご門徒が持ち寄り、調理し、報恩講を迎える。報恩講を待ち遠しく思う姿がそこにはある。今日では、持ち寄るほど野菜を栽培している家庭も少なく、食事は寺が用意し、まるでご門徒への振る舞いのようになってしまっている。このような状況では、報恩講を開催する立場の者と、お客さんとして報恩講に足を運ぶ者とに別れてしまう。平座でみんな一緒にという感覚は生まれない。
参詣者が持ち寄った食事を、卓を囲んでみんなで食べる。立場を分かつことなく、親鸞聖人の教えに耳を傾ける場が出来ている。
ここには、親鸞聖人が目指した念仏道場としてのお寺の姿がある。
踏み出してよかった
墓所もなく、墓を縁にした特定のご門徒もいない。寺の維持という面では、試行錯誤の連続である。しかし、だからこそ出会いの一つひとつを大切にされている。
「お参りさせてください」とフラッと立ち寄られる近所の方々。流山開教所を、手を合わせる場として大切にしてくれる方々。開教活動をしてきた中で出会った人がたくさんいる。その人たちと手を携えてここまで出来た。
迷いの中から、思い切って第一歩を踏み出してよかった。踏み出さずにいたら、出会えなかったかもしれない人たち。彼らとの出会いがなければ、今の自分はなかったと心の底から彼は言う。
「充実していますね」
「いやいや、やりたいことが全然できてないんだよね」
彼の目は、これから歩む道を見据えている。出会いを力の源として。
(文中敬称略)

取材・記事/ホームページ班トピックスチーム(2005年11月)