法名をいただいて(受式者の声)
帰敬式にたどり着いて


その日、1月26日は透きとおるような青空に陽光まぶしい日でした。真宗会館へと向かう車中にあって、いまだ自問自答を繰り返しつつ、迷いの中にありました。

私にとって、4月19日は忘れ様にも忘れられない、最愛の息子との17年間の別れの日でした。主治医に呼ばれ、後は少しでも痛みを和らげてあげるしか他に方法が無いと言われた日から親として、何もしてやれずに、ただおろおろと息子の生涯を見届けてやるだけの日々に情けなさを、自分の無力さを恨みもし、悲しみに押しつぶされそうな毎日でした。自分に瓜二つと自慢にし、将来に大きな期待をしていた息子が、なぜ、なぜ、私より先に行かなければ成らないのか、どうしても納得の出来る事ではありませんでした。どうしても、どうしても、私達より先に行かなければ成らない、よんどころない用事があったんだよと、この世では、あの子は私達の子供だけど、来世では、きっと私達の父親になるんだよと、妻には言い聞かせ、二人でそう思い込み納得しようとしました。

ついにその日がやってきました。息子の枕元に座り、私のとった行動は奇妙なものでした。仏壇にあった経本をとり、見よう見まねのお経を読みはじめました、もともと無信心の私にお経が読めるはずもなく、ましてや涙と嗚咽の中では如何ともし難く、それでもどうにか正信偈の最後まで行き着けました。私にとって初めてのお経は息子の為になにかをしてあげなければと、その一心で読んだ悲惨なお経となってしまいました。

その後の葬儀等は夢中のうちに慌しく過ぎてゆきました。そんな中で、道教寺の副住職にお願いして経本とCDをいただきました。それにて一心に読経を重ねてまいりましたが、どうしても、悲しみを、心にあいた隙間を埋める事ができず、あの子の臨終の姿が、あの苦しみ助けを求める姿が脳裏から離れず、かえって悲しみの傷が深くなるようで、もっと、もっと他にしてやれる事があったのではないか、私は本当になりふり構わず、あの子を助け様としたのだろうかと、他にぶつける事のできない怒りを自分自身に向けることで、お経の中に答えを求めようとしていました。

ある時、副住職から法名のお話しを聞き、帰敬式なるもののあるを聞き、息子と同じ釋のつく名前をいただく事で少しでも息子に近づき、少しでも気持ちが汲み取れないだろうかと、そんな単純な気持ちで申し込み、はたしてそんな事で良いのだろうかと、迷いつつも真宗会館へとむかいました。

会館内に入りいよいよ、帰敬式が始まりました。若きスタッフの皆さまの清清しい立居振舞のなか、式も進み剃刀の儀式では、思わず背筋が伸び心に何か凛としたものを感じました、なにかを予感する様な、式後の茶話会に入り各々自己紹介が始まりました、私の番になり出席した理由をありのまま述べようとして、話始めましたが、ここで私に異変がおきました。息子の話を始めたとたん、胸が苦しくなり涙があふれ上手く話す事ができなくなりました、今まで人前で、ましてや初めてお会いする方々の前で、涙する事など皆無の私が、思わず取り乱し涙してしまいました。

その後スタッフのお坊さんが、皆様は南無阿弥陀仏をとなえる時に何かお願い事をしますか、とお尋ねになり、一同無言のところを、その方はお続けになり、阿弥陀様は皆様の願い事を全てお聞き届けになり、死後の世界は全て私にお任せ下さい、どんな人でも、どのような人でも全て私にお任せ下さいと、お立ちになって、手を差し伸べて下さっているのですよ、ですからお願い事ではなくて、一日一度の良い事をしようではありませんか、良い事それは感謝すると言う事です。バスに乗って席を譲ってくれた人に感謝してありがとうの一言を、今日始めて会った人にも感謝を、家に引きこもっていれば、自分一人で生きている様に思われるでしょうが、決して一人で生きているんじゃないんですよ、皆一緒に生かされているんですよ、感謝をする事により皆友達になるんですよと。

ああ、宗正元先生が今日の講話の中で仰ったのはこの事だったんだ、簡単に口にする命と言う言葉が実は上に御のつく、御命という、もっと重たい、あだやおろそかにできるものではないことを、そしてこの、御命にとって皆生かされていることを、自分一人で生きているつもりになって、生かされている事に気がつかない、凡愚なる意味、人は皆他の命を頂かなければ生きてはゆけぬ事だから、悪い事はするなよ、命を奪うなよ、命を粗末にするなよの、悲願をたのみ、生かされている事への感謝にたどり着く、ああ、何か一つ扉が開きかけた様な気がしてきました。

息子が今、阿弥陀さまの御胸に暖かく抱かれているのなら、それが真なら、なんで悲しいことがあろうか、逆に喜ぶべきものなのかもしれない。そう思えば、もう恨むまい、悲しむまい、自分を責めるまい、息子と同じ釋の字のついた名前を頂いた、今日この日から、生かされている御命大事にお返しするその日まで、一日一度の感謝ができる様小さな一歩を踏み出そう、まず一番に息子をその御胸に暖かく抱いてくださった、阿弥陀様に深く深く感謝を

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、



法名 釋修法(東京都港区 道教寺門徒)
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