浄土真宗の法事
法事とは

法事や仏事というものは、私が思い立ってするものではありません。
自分に先立って人生を歩まれた方々が居てこそ、仏さまの教えや寺、そこに集う人々との出会いがあるのです。
人生における出会いは、私たちの分別を越えたはたらきによるものです。
そのはたらきを阿弥陀如来といい、亡き人は諸仏となって阿弥陀如来と出会う縁を私に与えてくださっているのです。
亡き人があってこそ、今の生を歩んでいる私です。亡き人のために、私がするのではなく、亡き人の呼びかけに応じて勤めるのが、法事なのです。



法事の日取り

法事の日取りは、命日を過ぎても構いませんし、日の良し悪しを気にする必要もありません。法事を勤めること、私が「南無阿弥陀仏」と念仏申すことに意義があるのです。
日取りを気にする心の中に、亡き人に失礼だからとか、バチが当たるからといった思いがありませんか?そういう気持ちこそ、失礼に当たるのではないでしょうか。
亡き人からの「南無阿弥陀仏と念仏申せよ」という呼びかけによって勤めるのが法事なのですから、法事は、"いつ"を気にするものでもありませんし、義務として務めるものでもありません。言い換えれば、毎日が法事なのです。
毎日、お内仏(お仏壇)の前で手を合わせることを忘れないでください。



法事の心得

ご本尊(阿弥陀如来)を安置することは忘れないようにいたしましょう。亡き人の法名や写真にばかり気持ちが向いてしまいますが、ご本尊に手を合わせることが大切なのです。亡き人のための法事でなく、今生きている私のための法の事なのですから。

「法事は供養の場ではないのか?」って?
自分の迷いを、亡き人の迷いと勘違いしていることに気付かないで、供養といえますか?
亡き人は、阿弥陀如来に出会う場を与えてくださる諸仏法です。
亡き人の縁を大事に、私が念仏申す人となることこそ、供養と言えるでしょう。
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