真宗では「清め塩」を使いません
清め塩は迷信です。
魔を祓うために棺の上に刃物をのせたり、火葬場で遺骨の箸渡しをするなど、葬儀では、仏教とは無縁の迷信的な風習が伝えられています。「清め塩」もそのひとつです。清め塩は、葬儀の際、玄関先に置かれたり、会葬者に礼状とともに渡されたりしており、清めることをごく当たり前のように思っている人が多いようです。
「死」は穢れたものではありません。
しかし、この塩で、いったい何を清めようとするのでしょうか。日本には古くから「死を穢れ」とする考えがありました。その理由は様々伝えられていますが、いずれにしても「死(者)」に触れ関わることは、わが身も穢れ、そして生者に死をもたらすと考えられたのでした。今日でも「四」の数字が「死」を連想されることから忌み嫌われ、病院やホテルに四号室が見られないのもそのためです。
けれども、生前に乳よ母よ、兄弟よ友よと呼び親しんできた方を、亡くなった途端に穢れたものとして「お清め」していくことは、なんとも無残であり、悲しく痛ましい行為ではないでしょうか?
仏教では決して死を穢れとは受けとめません。生と死を分けるのではなく「死もまた我らなり」と受けとめ、生死(しょうじ)するいのちを精いっぱいに生きていくことこそ、人間としての生き方であると教えています。
清めの行為は亡き人を貶(おとし)めていくばかりでなく、自身の生き方をも曖昧にさせる迷信であり、一切不要なのです。
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