宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要
御遠忌に思う8 (東京教報No.153 掲載)
小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもうまじ
如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき
『愚禿悲歎述懐』(真宗聖典509頁)

御遠忌がだんだん近づくと、あれもしなければ、これもしなければと、宗門の各機関から要請がでてくる。どれもこれももっともな事なのだが、地方のお寺に住む者にとっては、「はい、そうします」と一歩踏み出すことは至難のことである。そのように実行できればいいのだが、さまざまな障害がでてきて計画通りにはできない。学校を卒業したばかりの若者達が、会社や事務所に就職し初出勤した当初、その職場のことは何も知らない。でも彼らは上司に言われなくても、「何か言いつけてください、何でもやりますから」と、生き生きと行動していた。どんなきつい仕事でも喜んで引き受ける。これは何をしても損をしない主人公になっていたのだ。ところが、何ヶ月か経過すると、事態は一変する。「どうして私だけこんな面倒なことをしなければならないのだろうか」と、嘆くようになる。みんないつの間にか、儲かる事ならやる。損する事はやりたくない。みんなに褒められる楽しいことならやる、という、人生のお客さんになっているのではないか。

家庭でも、学校でも、職場でも、近所つきあいでも、みんなお客さんになりたい人であふれている。親鸞さまは、自分には、まわりの人たちを助けてあげる力はない。だが、みんなと一緒に、南無阿弥陀仏の教えに学ぶことによって、自分が人生のお客さんだったことに気づき、どんなきびしい境遇にあっても、人生の主人公になって、生き生きとした毎日を送ることができる、と、ご自身の体験を語られている。御遠忌を前にして、いつの間にか、私たちは、人生のお客さんを夢見て、毎日煩悩に振りまわされてはいないだろうか。五〇年に一度の御遠忌をお祭り騒ぎで終わらせないように、人生の主人公の世界を楽しもうではありませんか。

文・高松 信英(たかまつ しんえい 長野県飯田市 善勝寺住職)
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