宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要
御遠忌に思う9 (東京教報No.154 掲載)
円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、
難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。
『教行信証』総序(真宗聖典149頁)

親鸞さまの教えは、一貫して南無阿弥陀仏の名号と一緒。その親鸞さまの教えに生きようとしているはずなのに、私たちの現実は、いつも南無阿弥陀仏から離れる生活をしている。寺の住職として、親鸞さまの教えをみんなのものにしようと、南無阿弥陀仏の教えを語ったり、南無阿弥陀仏の教えについて書き記したりしてきたが、老年期を迎えてみると、若いときからずっと、格好の良い事を語ってみんなからもてはやされるために動き回っていたのではないかと、気がついた。南無阿弥陀仏の働きは、転悪成徳。儲からなくても良い、格好良くならなくても良い、そのままで素晴らしい人生に目覚めることができますよと、教えられているではないか。歳を取ると、もう私は駄目だ、若いときは良かったのにと、嘆きたくなるが、年寄りにならないとわからないことが沢山あるのだ。

南無阿弥陀仏は、難信。儲かる人になりたい、格好良く見える人になりたい、と努力する、この世の常識に縛られているものには、簡単に信じられない、と教えられている。みんな気がついたら、お年寄りの仲間に入っている。歳を取ったら、年寄りの素晴らしさを心ゆくまで味わえばよいのに、若いときと同じ愛欲と名利の生活を追いかけて、不平不満の毎日になってはいないだろうか。

この世では、定年退職がある。どうしてこんな悲しい目に遇わなければならないのだろうか、と毎日が暗くなる。有り難いことには、私たちには、南無阿弥陀仏の世界が開かれている。疑いを除き、証を獲しむる、青空のような老年期を、聞法一年生になって、楽しもうではないか。御遠忌はその第一歩を踏み出すときなのだ。

文・高松 信英(たかまつ しんえい 長野県飯田市 善勝寺住職)
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