心にじぃーんと法話

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お坊さんの如是我聞

新しい人生がはじまった

A君が、寺とご縁が結ばれて約20年になります。本気になって教えを聞き始めたのは、約7、8年前。寺の報恩講で、一講師の法話に感動してからのことです。都内に事務所をもうけ、電話をひき、自分ひとりで経営していた貿易関係の会社が倒産したのは、それから間もなくのことでした。

彼には、中学1年生の長男を頭にして、4人の子供がいます。学生時代の友人から金を借り、茨城県に引っ越しました。そして、その友人の会社の社員として就職しました。事情が変わり、経済的にも、時間的にもたいへんだから、なかなか参詣することはできないと心配していましたが、彼は毎月毎月欠かさず参詣してくれ、その求道姿勢には、私のほうが感嘆するほどです。境遇の変化の中で、本当に地に足のついた生き方を、彼なりに本気に求める願いが動いていたのでしょう。

その間に、1冊の仏教書に遇い、暗記するほど熟読しました。しかし彼の家庭は地獄でした。学校時代の同級生に使われる劣等感、おこずかいもままならないほど。社内の人間関係、そのたまりにたまった不平不満は、酒の力を借りて奥さんに子供にぶつけられました。今時、めずらしい辛抱人の奥さんも、さすがに離婚を決意したようです。

その彼が急に変化したのが約2年前。表情も明るくなり、何か行動にも自信がでてきました。彼の根本的変化に驚き、一時は、家族6人でお念仏の集いに参詣し、今も長男のR君が、父親と一緒に自発的に参詣してくれています。今、A君は、近くの図書館から片っ端から仏教書をかり、「こんなことが書いてありましたよ」と、毎月毎月、私に報告してくれています。つい昨年も私と二人きりのとき、「過去の倒産も、こういう尊い世界に遇うためであったのかと全部頂けます。」と、私に述懐してくれました。過去が、そのまま全部ありがたく頂けるほどの救いはないと感じました。

環境が変われば、人間、本当に幸せになれるのでしょうか?

快適で、便利な今の環境の中での、私たちひとりひとりの生きざまを見直してみれば、答えは明白です。今、私たちの周囲には、薬局で売っている精力剤のような「インスタントな救い」が氾濫しています。副作用が心配ですネ。仏教は、私たちひとりひとりの迷いの体質を根本から変える療法です。私たちは、平生、私が私がと、この私を、最後のよりどころとして生きています。しかし、よく考えてみると、自分に遇ったことはないのです。対象化してしか、ものを見られない私ですから、自分の意識の影を、自分と思い込んでいるだけなのです。そのくせ、朝から晩まで、オレがオレがとふり回され、悩まされている。まことに「愚かものだなー」と、ため息が出ます。そして、損か得か、善いか悪いか、と平生割り切っている意思判断も、割り切れない人生の大問題にぶつかると、お手上げになってしまうのではないでしょうか?
あてにならない自分の思い、考えにしがみついているこの私。自我意識の根っこの愚痴の心(無明)が、私の永い間の苦悩の根本、と知らせてくださる智慧の光のコトバが南無阿弥陀仏です。私が私が、と生きていたものが、この私が迷いのかたまりと知らされる、これは実に大きな自己変革です。

智慧の光が、私の心の底の主人公となってくださるからです。約20年間の根気のよい求道、いろんな機縁、方円を通しての無碍光のお育てによって、今、A君に新しい光の人生がはじまってきたのです。

文百々海 怜(どどみ さとし 東京都港区 了善寺)

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