心にじぃーんと法話

お坊さんの如是我聞

お経

「お経」の「経」の文字は「たていと(経糸)」と読む。経糸と緯糸(よこいと)と言えば織物のことである。人生を一枚の織物にイメージして、この文字を当てたのかは定かではないが、なるほどと思わされる部分もある。

京都の西陣は織物の町。そこで紡ぎ出される伝統の技は美しく雅な織物となり見る者を魅了する。つづれ織りは、多彩な緯糸を使って図柄を表現する。経糸の五倍のきめ細かさと密度の緯糸は、経糸を包み込むようにして織り込まれ、表面には緯糸の図柄だけが現れ、経糸は表面には見えないという。しかし目に見えない経糸の存在が無ければ、緯糸は図柄にはならない。強い垂直な経糸の存在が織物全体を成り立たせているのだ。

人生も、自分にとって変わることのない不易な経糸に、自らの生活、人間関係、様々な体験、技術、仕事などを緯糸と見なして、その人の手で、その人しか織ることができない、唯一無二の織物である。加えて私たちは目に見えるものを頼りにしがちで、目に見えないものの大切さや感謝を忘れがちである。経糸の不可欠さはそのことをも教えてくれる。

大無量寿経というお経には、「われまさに世において無上尊となるべし」 とある。人間としてのいのちを生きている「私」という存在は、無上にかけがえのない尊さを持っていることを宣言されたのだ。ひとり一人が織りなす人生の布は、皆異なり、無上に尊く唯一無二である。

私たちは何を経糸として自らの人生という織物を織り上げるのだろう。「経」という言葉でお釈迦様の教えが私たちに開かれていることを、大切に受け止めていきたいものである。

 

文五島 満(ごしま みつる 東京都世田谷区 浄行寺住職)

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