心にじぃーんと法話

お坊さんの如是我聞

心に残った葬儀

朝、ご門徒の娘さんから電話があった。「母が今朝亡くなりました」と。入院されていることは聞いていたが、まさか、そんなに具合が悪かったとは思ってもいなかった。ご主人の葬儀の後、住まいの近くでお墓を探されていて、たまたまうちを訪ねて下さったのがご縁であった。大学を卒業して寺に戻ってきたばかりの私を、「住職、あんた若いんだから頑張りなさいよ」といつも声をかけてくれた。お寺の行事にもよく参加して下さった。

翌朝、枕勤めに伺った。お顔を拝見しながら、信じられない思いと信じたくない思いが交錯して涙があふれてきた。お勤めの後、蓮如上人の『白骨の御文』を拝読させて頂いた。「されば明日に紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」の一節が身に響いてきた。私は、どんな別れ方だったら納得できたのだろう。私の思いの中では間違いなく、もっと生きられると思っていたし生きていて欲しかった。ご遺体を前にして、「住職、あなたも死にいく身を生きているんだよ。あなたはどういのちを終えていくつもりですか?」と問われているようであった。

仏様の教えは、人間は一瞬一瞬の縁を生きる身であると教えている。だけど、私たちは死なないつもりで生きているのではないだろうか?生きていることに慣れてしまって、朝、目を覚ました時に驚きや感動がない。同じような日常が繰り返し繰り返しやってくると疑うこともなく暮らしている。すべてが、あたり前という言葉で片付けられていく。だけど、自分にとって大切な人との別れは、悲しみと同時に真実を見ることのできない私たちの曇った眼を涙で流してくれるのではないだろうか。ご門徒さんの葬儀からたくさんのことを学ばせて頂きました。

文青樹 潤哉(あおき じゅんや 東京都文京区 專西寺住職)

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