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お坊さんの如是我聞

目に見えない新型コロナウイルスが見せてくれたこと

新型コロナウイルスが全世界で猛威を振るっている。目に見えない不安や、先の見えない不安におびえる中、海外ではマスクをした東洋人というだけで暴力を受けた映像が報道された。国内でも咳き込むだけで周囲から白い眼差しが向けられる。地方に住む私にとって、感染者の多い東京は「キケンなトコロ」に見え、特に都内ナンバーの車から人が降りてくると2メートル以上離れようと意識が働く。そして、感染者がウイルスを広げないために有効だとされるマスクは、防衛のためのアイテムに感じてしまう。
震災や原発事故でもそうであったが、社的弱者といわれる方々が、まず最初に苦境に立たされている。また、様々な業種の方が職を失っている報道を聴いて「犯罪や自死者が増えるだろう」と、自分は安全な所に居ると思い込みながら評論している。そして、自分以外は「バイ菌」のようにすら見えてしまう。こうした私自身にある偏見が、格差や差別を肯定し、世の中をますます疲弊させてしまっているのだろう。
一方、感染拡大防止の観点から、濃厚接触を避けるために休校や様々な自粛など、日常生活にまで大きな制限が強いられている。しかし、実際には濃厚接触を避けた生活は困難であり、楽しみも減り、異質であって、多くの方々も困惑し、しんどさを感じていると思う。
そこで、見えてきたことがある。普段の何気ない日常は、名前も知らない、目を向けることもない不特定多数の「ひと」「もの」「環境」との濃厚なふれあい、「縁」によって支えられ、成り立っていたことを。
「外国へ行くと日本が見えてくる」と同じように、濃厚なふれあいを避けなければならない今だからこそ、御陰様(名前も知らない人びとなどの支え)によって生かされてきた自分の日常を見つめ直すチャンスにすることもできる。
他者をゆるし、受容するこころがますます希薄になった現代(=私)。このパンデミック(世界的大流行)によって、当たり前にして見ていなかった「縁」に目覚め、寛容の精神を回復させる契機にするには、この問題をどこに立って考え、そして、何をしていったら良いのだろうか。それを見つけ、行動につなげることが出来れば、世の中の様々な疲弊を超えていく糸口になるのではないだろうか。

4月7日

文星野 暁(同朋社会推進ネットワーク チーフ 茨城1組 浄安寺)

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